02 戻れない

僕が通っている高校の最寄り駅を出て駅前通りを真っ直ぐ進み、繁華街の外れの古びたビルや商店が建ち並ぶ寂さびれた区画に、その地下道はあった。
昭和時代に造られたようなその古びた地下道は、人々に忘れ去られているように薄暗くひっそりとしており、そこを利用する者を見たことがなかった。
そんなものに僕が興味を持ってしまったのは、どこへ通じているのか見当もつかなかったからだ。
普通、駅前通りにある地下道の入口というのは、地下街や向かいの歩道に通じているものだが、この田舎の駅前通りには地下街なんてないし、通りにはこの地下道の入口一つしかないのだ。

ある日、僕はとうとう好奇心に負けて、その地下道の入口へと足を踏み入れてしまった。
汗ばむような陽気の五月末のその日は、前期中間試験の最終日で、午前中で学校が引けて、青空のど真ん中で太陽が眩しく輝いていた。
駅の近くのマックのビッグマックとマックシェイクで昼食を済ませた後、その地下道の入口の前を通りかかったのが運の尽き。
ちょっと変わった気晴らしがしたくなってしまったのだ。

二人並んで通るのがやっとの狭い階段を降りると、薄暗い地下の通路が、直線状に伸びていた。
向こうへ目を凝らしても、薄暗い電灯に点々と照らされた壁と床が見えるばかりで、その先は闇に呑み込まれている。
本当に近くに出口がなく、遠くの何処かへと向かっているようだ。
おお、まるでダンジョンみたい。
こりゃ期待以上だね。
僕は軽い足どりで通路に沿って先へ進んだ。
少し行くと、左手に曲がり角があるのが見えてきた。
そこを曲がると、降りてきたのと同じような階段が地上に向かっている。
階段の上には、駅前通りと同じような建物と、その上に初夏の青空が覗いている。

もう冒険はお終いかあ。
まあ、こんなもんでしょう。
さてさて、どこに通じているのかな?

外へ出て周囲を見回した僕は、おや、と首を傾げた。
見覚えのあるそこは、D町の国道沿いの歩道だった。
高校の最寄り駅の次の駅のある町だ。
しかし、そんな距離を歩いたような気はしない。
せいぜい駅前通りの隣りの通りへ出るんだろうと思っていたのに。

不思議に思いながら引き返して地下道の階段を降り、通路を左手へ曲がった。
真っ直ぐ進むと、また同じくらい行った先の左手に曲がり角があった。
そこを曲がるとまた同じような階段があり、出口に駅前通りのような建物と青空が見える。
そこを出て、僕は思わず、あっと声を上げた。
そこは、僕の住んでいる県の県庁所在地のあるF市の、中心街だったのだ。
徒歩で半日はかかる場所だ。
そんな馬鹿なことが!
この地下道はワームホールだとでもいうのだろうか?

今振り返れば、ここで止めておけば良かったのにと思う。
けど、僕の好奇心はますます膨らみ、もっと先へ進んだらどうなるのか、試したくなってしまった。

次に出たのは、どこかの山村だった。
周りは民家と田んぼしかなく、少し歩き回って地名の書かれた看板を探したが、そういうものは見つからず、場所を確かめることができなかった。
そんなことが連続した。
仮に車道のそばに出ることができて、地名の標識を見つけても、もはや僕の聞いたことのない名前である。
市や町の名前は分かっても、県名が記されていないため、おおよその位置すら掴めなかった。
何度ワームホール地下道の入口をくぐったろう。
二〇回? 三〇回? 五〇回?
数えていなかったが、とにかくたくさんくぐった。
ついに僕の知っている場所に出た。
テレビで見覚えのあるの日暮里駅の白い建物が、ビルの谷間の間から覗いている。
う〜ん、微妙!
どうせなら、アキバとかブクロとか新宿とかスカイツリーとかが良かったなあ。
しばらく街をぶらついて見物した後、家に帰ることにした。
気がつけば日が傾きかけているし、ちょっと疲れてきた。
さらなるディープな冒険は、もっと時間があるときにしよう。

地下道の入口に戻り、階段を降りて通路を右手に曲がる。
さて……。
冷静になり、戻るのにも、ここまで来たのと同じくらいの手間をかけねばならないことに気がつく。
何回角を曲がって入口をくぐったのか数えていなかったので、戻るのにも一つ一つ角を曲がって入口を出て確かめていかねばならない。

一つ目の入口を出て、少し嫌な予感がした。
全く見覚えのない場所に出たのだ。
けど、途中からあんまりよく見て確かめていなかったので、ただ覚えていないだけかもしれない。
次の入口。
これも見覚えがない。
次。
ここも覚えがない。
次……。
僕は、全身に冷水を浴びたようにぞっとした。
そこにある建物、人、空気そのものが、なんだか、日本じゃないみたいに思えた。
東南アジアのどこかみたいだ。
次。
ああ、本当だ。
間違いない。
ぜんぜん日本じゃない。
僕はどんどん家から遠ざかっている!

ある時、一度だけ、地下道の通路で人間に遭遇した。
通路の床に蹲っていた、ぼろぼろの薄汚い服を身に纏って酷い悪臭を放つその男は、僕が近づくと、威嚇するようにブーと吹き、何やらよく分からない言葉で大声で喚いた。
足ばやに通り過ぎても背中に罵声を浴びせ続けてきた。
きっと気が狂っていたんだろう。

僕はそいつみたいにはならないつもりだ。
何百回入口をくぐったろう。
今はヨーロッパっぽいところにいる。
地球を半周したんだ。
気をしっかり持って、ずっと入口をくぐり続けていれば、いつかは僕の家の近くへ出るはずじゃないか?

2013.2.24