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風の息子は、それほど逡巡しゅんじゅんすることもなく、化物狼の背中に攀よじ登った。
他の選択肢に余り見込みがなかったことは大きいだろう。
シャスタに戻れば兄たちに命を狙われる危険があり、この世界の中心の園にいても生きていけそうにない。
それらの選択肢よりも、彼はこの化物狼を信じ、運命を任せたのである。
我々に伝播している伝説をその通りに解釈するならば、彼らには僅かばかりの思考の共有があったのだとも想像できる。
後の人間が行う召喚では、召喚主従の関係にない間柄で、それが認められることはない。
あるいは、世界の第二創造期に発生した唯一の人間アズヴァーンが行った召喚法は、後の人間のそれとは異なっていたのかもしれない。
化物狼は、風の息子を背中に乗せて、果てしない山の連なりの上空を東へとどんどん飛んでいった。
ついに山の連なりが途切れると、その先にはローグの森に負けず劣らず深い森があり、その向こうには、シャスタ以上に豊かで広大な土地があった。
こうしてここは風の息子の名を取り、ヴォートの地と名付けられた。
化物狼は、小高い丘の頂いただきに風の息子を降ろした。
風の息子は、新天地へ導いてくれた礼に、化物狼が望んでいることをしてやった。
死の世界へ化物狼を送り返してやったのだ。
彼はそれまで召喚術を一度も試みたことがなかったというのに、後の人間にとっては召喚術の中でも最高位の難度に位置づけられている帰還の術を、いとも簡単にやってのけたというわけだ。
最初期の人間はそれほどまでに召喚能力が高かったのだろうか?
いや、しかし、それでは辻褄が合わないのだ。
アズヴァーンが最初に六つの紋章の怪物たちの元で召喚術を習得した時は、それほど簡単ではなかったという話だった。
風の息子はいかにして短時間で高度な召喚術を習得したのだろう?
アズヴァーンが召喚した精霊との思考の共有――そして、その精霊の全身にあった、六つの紋章の怪物から継承したと思おぼしき文様。
それが鍵だったのではないだろうか。
帰還の術は、小高い丘の頂の大きな岩の上で行われた。
怪物狼が風の息子に感謝しながら消えた後、大岩の上に怪物狼の体の文様が残された。
その丘の名は、ルウェリンの丘という。
ここにはその後、風の種族の神殿が建てられ、その後の時代にヴォート国の王の離宮に取って代わった。
風の息子はこの地で生活を始めて暫く後に、彼自身の力で精霊を召喚した。
風の精気エレメントを受けた女の姿の精霊だ。
父アズヴァーンのように、この精霊を妻にして子を成した。
すべて風の精気を受けた子供であった。
これが風の種族の始まりとなった。
その後の幾世代かにかけて、風の種族は自ら召喚した人の姿の精霊を伴侶にするのを慣わしとしていた。
この習慣が廃れたのは、他の精気の種族との交流が盛んになった神殿時代である。
この時代にアズヴァーンの召喚法は完全に失われ、今日の召喚法へと大きく変容したと考えられる。
そして今日では、人の姿をした精霊は全く認められなくなったのである。